お茶の歴史と、日本に入ってくるまで
「やぶきたの父」 杉山彦三郎 (1857~1941)
静岡県安倍郡有度村(現静岡市駿河区中吉田)に生まれ、わが国茶品種改良の先駆をなした。
明治10年から優良系統の選抜育種試験を行ない、優良品種「やぶきた」を発見した。
[やぶきた]のおこりは、竹やぶを開墾した試験園の北側の位置に原樹があったために名付けら
れたもので、樹勢・品質の優秀性が認められ、昭和28年農林省に茶樹登録制度が設けられるとともに奨励品種に指定された。
今日、全国にこれに勝る品種はなしとされ主役を果たしている。
「製茶機械の発明者」 高林謙三 (1832~1901)
武蔵国高麗郡平澤村(現埼玉県日高市)に生まれ医者を職業としていたが、茶の栽培を始めるとともに、
茶の生産性向上の必要を痛感し、製茶機械の発明を志す。
明治18年生葉蒸器械ほか2点の特許を取得する(特許第2,3,4号)。
その後明治31年に、今日の製茶機械原理の元となる茶葉粗揉機(特許第3301号)を完成させた。
機械製茶法の確立にともなって、緑茶製造の生産性は飛躍的に向上した。
「わが国茶業界の元老」 大谷嘉兵衛 (1844~1933)
伊勢国飯高郡川俣村(現三重県松阪市飯高町)に生まれ、幕末開港の頃より横浜において輸出茶の取り引きを行い、従来「居留地貿易」として外国人の手にのみ行なわれていた緑茶の再製直輸出を実現し、米大統領に直訴して茶の関税を廃止させ、輸出茶の進展をはかった。
また、全国統一の茶業組合設立に大きな役割をはたした。