お茶の歴史と、日本に入ってくるまで
紀元前からという長きに渡って、
人々に親しまれ続けてきた”お茶”の歴史をご紹介します。
お茶の起源は中国南部の雲南省からインドのアッサム地方にかかる山地
茶の発祥地は、「中国南部の雲南省からインドのアッサム地方にかかる山地であろう」という推測的な説が一般的ですが、考古学的な証拠がないため明らかではありません。
760年に唐の学者であり禅師である陸羽の著した世界最古の茶の科学書「茶経」に「茶は南方の嘉木にして…」とあることから、「中国南部の雲南省からインドのアッサム地方にかかる山地であろう」という説が説かれています。
茶の発祥地・中国では・お茶は解毒薬。嗜好品になつたのは、宋時代から。
本草学の始祖、今日の漠方薬の基礎を築いたと伝えられる神農帝が、山野を駆け巡り、人間に適する野草や樹木の葉などの良否をテストするために、一日に72もの毒にあたり、そのたびに茶の葉を用いて解毒したという話は、お茶を知る上で重要です。
また中国・唐時代(659年)に書かれた『新修本草』という本には、薬としての茶の記録が書かれています。中国では、茶は当初は薬、特に解毒薬として飲まれていました。「お茶を一服」という言葉は、これに由来するといわれています。
嗜好品として飲まれるようになったのは、宋時代以降からです。
日本に茶を広めたのは、臨済宗の開祖・栄西。お茶の種・飲み方を中国・宋から持ち帰る。
日本の最古の信頼出来得る喫茶記録は、「日本後期」にある「弘仁6年(815年)4月22日、僧永忠が嵯峨天皇に茶を奉った」というものです。
少なくとも奈良時代にはお茶が飲まれていたと考えられます。しかし、当初お茶は大変な貴重品でした。それを普及させたのは、鎌倉時代に、臨済宗の開祖・栄西がお茶を中国・宋から持ち帰ったのがきっかけです。
栄西は、宋へ修行に行き、多くの経典とともに、お茶の種と飲み方も持ち帰ったのです。
当時のお茶は抹茶に近く、江戸時代に入ってからは、煎茶が茶の中心となり、庶民の口にも入るようになりました。当時は、お茶請けには栗などの木の実が食べられました。